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水野忠篤 (鶴牧藩嫡子) : ウィキペディア日本語版
水野忠篤 (鶴牧藩嫡子)[みずの ただあつ]
水野 忠篤(みずの ただあつ、天明7年6月26日1787年8月9日) - 文化13年8月8日1816年8月30日))は、上総国鶴牧藩の養嗣子。長門国萩藩主・毛利治親の五男。生母は側室岡田氏(花村、宝池院)。正室は水野忠韶の娘、継室は間部詮熙の娘。幼名は儇之進(はやのしん)。初めは実兄で萩(長州)藩主となっていた毛利斉熙から偏諱を授与されて毛利煕続(もうり ひろつぐ)を名乗っていたが、水野家に養子入りしてからは水野忠篤と名乗った。は阿儇。戒名は蒼岳院。
寛政2年(1790年)に生母の岡田氏を亡くす。寛政11年9月27日1799年)に鶴牧藩主・水野忠韶の婿養子となりその嫡子となったが、正室である忠韶の娘が早世、忠篤も家督相続以前に早世した。代わって、新たに養子入りした水野忠実が嫡子となった。
== 参考文献 ==

*萩市史編集委員会「萩市史・第一巻」(萩市)



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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